北海道サハリン友好クルージング

文:松本伸之

 

ことのはじまり

 2002年8月、「北海道ヨットクラブ(HYC)」は、ヨットを通じ日ロの文化交流を深めようと、「北海道サハリン友好姉妹都市代表者会議」にあわせ、サハリンコルサコフへの友好クルージングを実施した。

 クルージングのきっかけとなった「北海道サハリン友好姉妹都市代表者会議」は、北海道とロシア双方の姉妹都市提携などを結んでいる自治体が一堂に会し、交流のあり方を話し合う会議で、クルージングはロシア側からの要望に応え実施した。

 サハリンは、北海道に一番近い外国の地であるにもかかわらず、軍港等が多く停泊許可を受けるのが難しいところで、今回の様にヨット9艇が訪れたことはおそらく初めてではないか。また、北海道とサハリンの各ヨットクラブが友好協定を結ぶのも、もちろん初めてのことである。

 出航前に、HYCの“同じ日本海を中心に活動する日ロのヨットクラブ同士が、今回のクルージングで友好関係を築ければ”という抱負に対し、後援する北海道日本ロシア協会の森川事務局長も「これをきっかけに、スポーツや文化など幅広い分野の交流に波及してほしい」と期待をよせた。

 クルージングに参加したヨット艇は下表の通り。札幌や旭川、函館、小樽の各市、留萌管内増毛町のヨットマンに東京からの飛び入り参加も含め32名が参加した。

 海とメカのエキスパート牧田capの団長船/りさ号、沈着冷静ベテラン太田capの副団長船/エル・ド・ノール号を筆頭に、自分のヨットで海外へという夢を今回実現した堀江capのエトピリカ号から、ヨット乗船が2回目というビギナークルーを乗せた艇まで、参加艇も多種多様だ。

 参加者のセーリングに対する考え方も様々で、出発と同時にセール一杯に風を受けトップを切って走る艇もあれば、さっそく酒盛りを始め、のんびりと夏の海を楽しむ艇もあった。宮崎capのエルミタージュ号では食事の代わりがビールだったという話しも・・・。

いよいよ出発

 クルージングは、8月4日小樽港を出港、2日間かけてコルサコフ港を目指し、6日入港、7日にロシア代表のヨットクラブとの友好調印式という計画だった。

 8月4日には、小樽港マリーナで、北海道日本ロシア協会副会長鈴木氏・事務局長原田氏、北海道ロシア室室長原田氏、在札幌ロシア連邦総領事館領事のラチーポフ氏らの参加を得、出航式が開かれた。各氏のスピーチから、参加者は今回のクルージングが、新しい北海道とロシアの文化交流の礎をつくるのだという意味を再度噛みしめていた。

 正午、出港時の小樽は、晴天、波も高くなく絶好のセーリング日より。各艇は日本とロシア国旗を風になびかせ、颯爽と小樽港を後にした。その日は、納沙布岬くらいまでは横からの良い風を受け順調に進むことができた。しかし、夜から9?10メートルの風が吹き出し、その後海は次第に荒れ模様となっていく。

嵐の中での決断

 船団は2日目、宗谷海峡越えを開始した。しかし、海峡半ばまでに、17メートルの真向かいの風に行く手を阻まれ、4メートルの波にデッキを洗われる状況が続く様になった。船団は遅々として進まない。サハリン到着後すぐ友好調印式や歓迎夕食会など様々な行事が予定されている。クルージングの計画が微妙に狂い始めた。

 性能も大きさも異なるヨットの船団だ。荒れた海で、倉本capのクイーンフラミンゴ号でエンジントラブルが発生。また、これ以上スピードをあげるにはエンジンが追いつかない艇が出るなど各艇の状況に徐々に差が出始めた。

 午後、風と波はますます強くなり、このままでは予定通りコスサコフ入港は困難という状況になってきた。友好行事を優先し一部のヨットだけで先に到着するか、「みんな一緒にゴール」をするか、決断の舵取りをしたのはリプル号の諏訪cap。

 5日の深夜0時、「一日遅れで行く」と全船に無線が入る。夜の海、大荒れの風と波の中、無線から流れた「とにかく一緒にゴールしよう」というスピーチは参加者に安心と感動を与えるものだった様だ。

 大変な風と波におそわれた今回のセーリングだが、浦滝capのドナ号、りさ号、クイーンフラミンゴ号などパイロット付きドジャーを設置している艇は、ワッチも快適に行っていた。もっとも船酔いだけはいかんともしがたく、筆者を筆頭に大変な船酔いで、前述の夜の感動的な場面に全く記憶のないクルーがかなりいたのが悔やまれる。

初の友好調印とロシアでの交流

 8月7日、ロシア側のヨットクラブ「サハリン ジェイド マリーンヨットクラブ(SJM)」とHYCは、友好協定に調印した。北海道とロシアの各クラブが調印したのは初めてのことである。

 協定書には、「環日本海を中心に活動する海を愛するシーマンの自覚を確認するとともに、双方の今後の一層の友好関係を促進する事を念願し、パートナーシップ協定を締結する」と謳われ、HYC代表の大瀧健一氏とSJC代表スチパノフ・ミハイル氏の挨拶後、HYCの参加艇各キャプテンとSJM会員がサインをした。

 調印後はロシア式にウォッカの乾杯で懇親会が始まり、現地の美人女子大生による通訳やピグマリオン号の土門capの英語でのやりとりで多いに盛り上がった。盛り上がった勢いで、HYCとSJMの間で、急遽、翌8日に親善レースを行うことも決まった。

 親善レースは、HYCが、函館では泣く子も黙るレース艇“クロコダイルダンディ”畳氏率いる精鋭クルーを載せた佐々木capのソーレ号。対するSJMは、代表スチパノフ・ミハイル氏のアニワ号で行われた。結果はHYCの完勝で、ソーレ号は、アニワ号から勝利の記念に錨を進呈された。この心憎い演出に、「さすが港町のヨットクラブ」とHYCのメンバーも感心することしきりだった。

そして、日本へ

 ロシア滞在中に様々な行事に参加し日ロの文化交流促進を図る一方、ユジノサハリンスク市内観光で、地元経済に多大な貢献を果たすなど、大役をこなしてきたHYCのメンバーは、8月10日正午、名残惜しさを感じつつコルサコフを後に、稚内へ向け帰路につく。

 出航時には、ロシア側からSJMのアニワ号と、サハリン号が伴走で見送りをしてくれた。サハリン号は、デッキで酒宴を繰り広げながらメガホンでロシア民謡を絶唱するなど、ロシア的手法?で楽しませてくれた。

 復路のクルージングは、「この先、海流がきつく、さっぱり進めなくなる」という怪情報にスピードアップし、稚内に半日以上早く到着してしまうというアクシデントがあった。入国手続き終了まで勝手に上陸もできず、半日待った後、おみやげのウォッカにたっぷりと税金を支払って、友好クルージングは無事終了となった。

 

【参加ヨット艇】

船名(船種・長さ/所属/キャプテン名、乗員数)

1) りさ(ベネトウ・41ft/OMOC/牧田 好勝Cap.他6名)

2) エルドノール(ジャヌー・40ft/OMOC/太田 博視Cap.他3名)

3) エトピリカ(ヤマハ・30ft/祝津/堀江 勉Cap.他2名)

4) エルミタージュ(オカザキ・33ft/OMOC/宮崎 敦Cap.他1名)

5) クイーンフラミンゴ(ナウティキャット・39ft/OMOC/倉本昌治Cap.他3名)

6) ソーレ(ジャヌー・35ft/函館/佐々木透Cap.他4名)

7) ドナ(ウェスタリー・35ft/ノールマリン/浦滝富士幸Cap.他1名)

8) ピグマリオン(ヤマハ・28ft/ノールマリン/土門裕之Cap.他1名)

9) リプル(バンドフェット・30ft/OMOC/諏訪雅英Cap.他2名)

 

Back